「死」という事実が私たちに何を教えているのでしょうか。
通夜は、お勤めや法話( 仏教の話) を通して、亡き方との深い縁に想いを寄せつつ、悲しみとともに静かに念仏申すときです。
そして葬儀は、“ いのち” そのものの無常を感じつつ、
しかしながら「人生全ての出来事に空しいことがない」との教えのもと、
亡き方をお送りする大事な別れのときです。
通夜は、お勤めや法話( 仏教の話) を通して、亡き方との深い縁に想いを寄せつつ、悲しみとともに静かに念仏申すときです。
そして葬儀は、“ いのち” そのものの無常を感じつつ、
しかしながら「人生全ての出来事に空しいことがない」との教えのもと、
亡き方をお送りする大事な別れのときです。
病院で亡くなられた場合、病院に常駐する葬儀社から日時、式場、火葬の手続きなどの説明とともに、儀式を執行す
る僧侶について質問を受けることも多くあります。その際には「ご葬儀を相談できるお寺がある」とお答えいただき、
まずその場でお寺にご連絡ください。
故人さまと心を通わせる、大切な時間
空調・照明・宿泊所・お風呂などを完備した眞教寺のお葬式「お寺のお葬式」は、最新の設備を持つ伝統的な寺院本堂の中 で執り行う寺院葬儀となります。漆や金、数々の調度品に囲まれた空間は、会館葬儀では出来ない大変荘厳な雰囲気で執り 行え、故人を安心してお送りする儀式が執り行えます。少人数から100 名以上のご葬儀にも対応できますので、大勢の方を お招きしての葬儀、家族葬、自分らしい葬儀を生前相談したいなど、どのような葬儀も対応いたします。
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基本料金/35万円~ 【 生前見積り受付中 】 -
※葬儀に関しましては「法友会」と提携して執り行います。
※会館使用料、祭壇料、供花、僧侶布施、料理料、法名(戒名)費用など、全て込の明瞭な会計をお約束いたします。
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故人は死後、全機能が一瞬にして停止してしまうのでなく、
耳の機能がしばらく残っていると考えられ、安心して旅立って頂くための読経を一番最初に勤めます。
個人の死を悲しみ、大きな声で個人に届くように読経しています。
お内仏(お仏壇)のご本尊の前にご遺体を安置してお勤めをいたします。 -
夜を通して、個人を見守るという意味で、はじまりの合図としてお通夜の読経をします。
人間の死をしっかりと見つめて、その事実が語りかけることに
私心を空しくして耳を傾けるよう心懸けています。 -
戒名は仏教で定めた戒律を守った出家の僧侶に与えられる名。
そういう修行はできないけれど、一般の生活をしつつ仏教徒になった人の名前が法名です。
生前に帰敬式を受けて授かるべきものですが、
授式なさってない場合は、個人の人となりや俗名の一字を考慮してお付けしています。 -
故人は、天国に行ったものでも、幽霊になったのでもなく、仏さまにしっかりと引き受けて頂きます。
故人を「仏さまにしっかり引き受けてください。よろしくお願いします。」
という気持ちで読経しています。 -
荼毘にこれからふしますという合図の読経をします。
故人さま仏さまの国で再会しましょう。
それまでしばしのお別れです。 -
全国各地に散らばっている親戚が、毎週集うことができないため、火葬後に繰り上げて初七日の法要をお勤めします。
荼毘にふされ、わずかな「白骨」だけになられてしまわれたお姿に触れ、
あらためてこの私たちの“いのち” が無常の中にあることを感じます。
そのご遺骨をご本尊の前に安置し、お勤めします。 -
お斎(会食)を通じて亡き人を忍び、ご縁のある方々でご葬儀の結びとします。
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- なぜ葬儀を勤めるのか?
- “今” “そこに” 生きておられた方との別れの時、それは同時に亡き方との出会いの時でもあります。亡き方の頬にふれ、
その手に触れる。その冷たさこそが、命そのものの事実を教えてくれます。
そのいのちの事実を通して“今” “そこに” 生きてあることのいのちの尊さとその悲しみを確かめる場。それが“仏教 の葬儀式” です。
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- 荘厳( おかざり)
- 浄土真宗の荘厳は私たちが行うものですが、仏の世界がこちらに現れたものとしていただきます。ですから、全ての
荘厳は私たち衆生の側に向けられています。
荘厳の形は全て浄土のすがたを表すためのものです。
花は、釈尊の涅槃の故事にしたがって、沙羅双樹を写した金銀の紙花が用いられています。
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- 「お経」「正信偈」ってなんですか?
- 「お経」はお釈迦さまの教えの言葉です。
その教えをいただかれた親鸞聖人が、感動をもってお作りになったのが「正信偈」です。通夜・葬儀で勤められますが、 死者に捧げる呪文ではありません。悲しみの中にある私たちに、生きる意味や本当の喜びとは何かを問いかけてくる 言葉です。
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- 焼香の作法は?
- 念珠(数珠)を左手に持って本尊に一礼後、両手に念珠をかけて合掌礼拝します。
それから香を右手でつまんで2 回香炉に入れます(本願寺派は1回、大谷派は2回)。このときに額に持ち上げていた だくことはしないのが作法になります。
香をくべたら両手に念珠をかけて合掌礼拝し、最後に一礼して退出します。
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- 御霊前と御仏前はどちらなの?
- 浄土真宗では通夜・葬儀でも「御仏前」とします。
これは、「亡くなったらすぐに仏になる(即得往生・往生即成仏)」という考えからきています。
よって、浄土真宗の通夜や葬儀、法事などは、亡き人を失った我々が、仏になった亡き人を通じて、悲しみを癒して くれる貴重な仏縁にお引き合わせをしてくれる、重要な法要ということになります。
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- お悔やみの言葉は?
- 通夜や葬儀におけるお悔やみの言葉として「ご冥福をお祈りいたします」が多く用いられますが、浄土真宗では「冥
福を 祈る」ということはいたしません。
これは亡くなった人を「諸仏(仏さま)」と見るためで、冥土という考えがないためです。浄土真宗でのお悔やみの言 葉としては、「謹んで哀悼の意を表します」や「ご逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます」などがふさわしい表現です。
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- 「清め塩」は不要です
- 日本各地には古くから通夜や葬儀の後に、「清め塩」を用いる習慣があります。
これは、死を穢れとする考え方からきています。通夜・葬儀にお参りして死に触れると、自分も穢れてしまう。そう 考えて塩で清めるのです。亡くなった方を穢れにしてしまうのはとても悲しいことです。